表通りから一歩を踏み込んだ路地裏、ひんやりとした日陰の壁に背中を預けて意味もなく時計を見遣る。常に持ち歩いている、名義の違う携帯へは視線を向けるまでもない。確認をする必要などはない。忘れることなどありえなかった。胸の深くへ刻み込まれた痛みと共に常に。失えばそれで終わりという境界線は確かにあるのだとシンは知っている。
 事実として。シンの世界は家族の死によりかつて一度崩壊をした。やさしく、争いを好まず、戦争を嫌い、中立とされていたオーブに暮らしていた故に、戦火に巻き込まれシンの目の前で失われた。理不尽な主張で攻撃を仕掛けてきた連合の機体へと放たれた、味方機であるはずの機体、フリーダムの砲火によって。
 オーブは崩壊をし、一部を除いた国民は取り残され、けれどそこに国を率いるはずの姿はなかった。事実上のトップであった元元首ウズミは、自爆をしたモルゲンレーテやマスドライバーと命運を共にし、その後をいずれは引き継ぐことになるはずの姫は、主要な戦力を引き連れて宇宙へと逃れていったのだとは後から聞かされて知った。けれどそんなことはわからなくとも、目に見えた光景はまざまざと覚えている。まだ充分に戦えるだけの戦力がありながら、民を置いて、国を遠ざかっていった戦艦と。それに伴われて飛び去ったフリーダムやジャスティスの姿とが。
 無惨に命を奪われた家族を前に、そのときにシンは知ったのだから。力がなければ、何ひとつ、守ることはできないのだと。
 そうして今、シンはプラントにいる。コーディネイターのひとりとして、ザフトに志願をした軍人の、中でもエースパイロットとして。随分な皮肉だとも思っている。フリーダムとジャスティスがザフトから奪われた機体だとは、やはり後に知ったことだった。
 二年の月日を経、軍事訓練にもとうに馴染んだ。かつて当たり前のように傍らにあった穏やかな日常こそが遠く、今ではとても溶け込むことができないような気さえしていた。まとまって与えられた自由時間を自主訓練をして過ごそうとしていたところを捕まえられて、連れ出したヨウランに言わせれば息抜きをしに来たはずの街で。
 ありふれた喧騒と、楽しげに行き交う人々やきらびやかに飾られたウィンドウ。平和を形にしたような風景の中で、安らいだ気持ちを感じないといえばけれど嘘になるだろう。通りすぎた店をもう一度覘きに行ったヨウランの戻り、通りへと足を踏み出したそれは瞬間だった。
 言葉を交わしていたこともあり、しっかりと前を見ていたわけではなかった。軽い衝撃と。視界に白い色が踊る。次にはまばゆいばかりの金色が続いた。正面からぶつかる形になって、バランスを崩した身体をとっさ両手で受けとめていた。細くやわらかな、女の子の。

「、…大丈夫?」
「………だれ」

 声をかけた振り向きざま、肩の上で揺れた金髪に、見開かれた瞳もひどく鮮やかな色をしていた。次には睨むように険しく、腕を振り払うようにして距離を取られる。何かを云われるだろうかと思う間もなく駆け出されて、一瞬で遠ざかる。
 突然のことに呆けていた頭には、からかうヨウランの声が響いた。

「胸つかんだな?お前」
「、え、」
「このラッキースケベ」

 云われた言葉に理解は遅れて続いた。改めて、手のひらに触れた、ひどく頼りない感触を思い出して頬に熱が上る。つまりは、そういうことで。彼女が不機嫌に怒ったような表情をしていたのも無理はなかった。
 過ぎて行った金髪はすでに何処にも見えない。翻るスカートの裾が今更に目に焼き付いていた。ずっと硬質な世界にあった感情は戸惑い、不自然にバランスを失って揺れている。たったそれだけのことで、日常を実感していることに気が付いた。
 強い瞳の印象はあまりにもはっきりと残っている。もう一度遭遇する偶然などはとてもありそうにはなかったが、けれどもしもと、考えて今度はいくらか沈痛にため息をもらした。

 許してもらえるかどうかは心もとなかったが、謝ることができたらと思っていたのだ。




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