ほとんど影のようだった。放課後の、人影のない教室の静けさの中だ。開け放った窓のサッシに肘を預けて、キラは外を眺めていた。鈍く西日を跳ねかえすタイルは黄みがかった灰色で、思いのほか足音を立てない。ディアッカはぞんざいに手近にあった椅子をひいて、床をこすった。ちらりと目を走らせたがキラが振り返る気配はなかった。窓の外へと顔を巡らせれば、空のきわが帯びた残照にいっとき眩んだ。 「キラ」 名前を呼んで、しかし振り向きはしない。沈黙に、吹き込んだ風が廊下に面した側の窓を軋ませて鳴いた。 「……さっきの子、振ったの?」 「…見てたんだ」 「声は聞こえなかったんだけどさ、…なんとなく」 「……そう」 早々に、ディアッカは言葉に詰まった。キラは振り返らない。さらされた背中は薄く、けれど頑なであった。 「…すごく、可愛い子なんだよ」 暫く口を開かなかった、キラの声はやがてぽつりと落ちた。視線を仰向けるようにして、恐らくは沈みゆく太陽を映している。その瞳を、ディアッカは思う。 「そうだな」 目鼻立ちがはっきりしていた。唇は小振りで健気に引き結ばれていた。印象としては華やかな少女であった。 「ゼミの友達の、後輩なんだ。明るくて、みんなに人気があって、…可愛いなって、思ってた」 キラと少女に直接の面識はなかった。度々ゼミに遊びに来ていた彼女が、いつの間にかキラにある意識を向けていたことに、だからキラは気付かないままにいた。 「付き合ってみればきっと、好きになれたと思うよ」 「ああ」 「でも、ダメなんだ。…どうしても、ダメだった」 「…仕方ないんじゃないの」 「………うん」 見る間にキラの背中がたわんだ。サッシにもたせた腕に顔を押し付けるようにして、その髪が落ちる。握りこんだ指先は、力を込め過ぎて色をなくしている筈だ。 ディアッカがキラへと踏み出そうとしたとき、キラは絞り出す様な声を出した。 「アスランが好きだって言った」 「え?」 一瞬だけ、反応が遅れた。 「理由が知りたいって言われた。そうじゃなきゃ、諦められないって…」 語尾はほとんど震えていた。ディアッカが知っているのはただ、存外に聡い気質故のことに過ぎない。キラは誰にも話しはしなかったし、ディアッカが訊ねたときにもしばらくは認めようとはしなかった。アスランの、ためだ。痛ましかった。 「…その子は、納得したのか?」 キラは黙って小さく肯いた。噛み締められた唇はここからは見えない。けれどもう、泣いているのかも知れないと思った。 「…可哀相だな」 誰よりも、キラが可哀相だ。 キラは、その少女が、ととったのだろう。また小さく首を縦に振った。涙で頬に張り付いた前髪が、ほとんど見えるように思った。 アスランは、キラのことが好きなのだ。ずっと昔から変わらない、キラだけを好きだった。誰に告白されても断り続けてきた。ある種潔癖な程だ。まれに見せる過ぎた執着の一面は恐怖よりも憐憫を誘った。 それが、つい先日だ。キラとは双子の片割れの、妹にあたるカガリと付き合うことになったと聞いた。キラは、薄々は気付いていたのだと思う。けれどアスランはキラの気持ちを知らなかったし、そうしてそこにどういう経緯があったのかも、ディアッカは知らない。けれどはっきりしていることは、アスランがそうと、キラを切り捨てると決めたということだ。掴んでいさえすればよかった手を、離したのはアスランだ。躊躇う理由など、もうどこにもなかった。 「神様が、いたら」 「え?」 俯いて、口にしていた。声は少し遠い。 「キラは、何を叶えてもらいたい?」 残酷なことを訊いていると、わかっていながら止められない。浮かんだ思考のあまりの身勝手さには自嘲を誘った。 「……やり直してもらう」 「何を?」 「ずっと前から」 「…なんで?」 「誰も、僕のことを好きになったりしないように」 ディアッカは黙った。目の奥が痛んだからだった。 神様がいたらどうしようか。 決まっているこの世界からあの少女もアスランも消してもらう、いや、キラと俺以外は残さないようにしてもらおう、そうだ。誰だって駄目だ。俺とキラ以外は許さない。俺がキラの手を離すことは絶対にないしキラは俺だけを見るだろうそれで全てだ。 なんて酷い人間だろう。 でも仕方がない。この痛みは酷過ぎる。今にも胸を食い破ってしまう。 キラが吸った息は震えていた。吐いた息は戦慄いていた。秘密は苦しい。慣れているけれど痛みには慣れない。閃いた誘惑に固唾を飲んだ。 傷付いたキラの顔を見たいと思ってしまった。 言ってしまえ。 優しいキラははきっと悲しむ。ディアッカを思って。 「―――キラ、」 距離を詰めた、手を伸ばせば抱きしめられる距離で、呼びかける。漸く振り返りディアッカを映した、キラの瞳は涙の跡が明らかであった。 「何か食いに行くか。奢るから」 そうして、飲み込んだ秘密はより重くなった。 散文100のお題 / 04.実らない果実
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