深淵の中、太陽も小さな光のひとつに過ぎない宇宙では、朝夕の別もなく、時間の概念はほとんどその意味をなくした。けれどそれなりの数の人間がともに過ごしていくのなら、それは必要不可欠なものになる。実感はなくとも、すがるべき、ひとつの指針として。

 そうして、真夜中だった。仮にも戦争のさなかで、戦闘配備ではないとはいえ艦の進行に伴う作業や索敵の手をよもや休めるわけにもいかず、それに定められたメンバーはこの時間も交代でその任を務めている。けれど艦の守護にあたる戦闘機のパイロットには、ありあわせのメンバーでは他に代わりもなく、それ故に自分とキラには確実な休息が約束されていた。もちろん敵の攻撃があればすぐにも迎撃に向かわねばならないが、ブリッジにもそれは同じことがいえるのだから、明らかに優遇をされていた。けれどそれも、許された通りに休息を取っていればの話に他ならない。

 一度目が覚めてしまえばなかなか眠る気にもなれず、気分転換にと向かった先、つきあたりの壁一面が宇宙に面した展望室で、そうして先客を見つけた。誰よりも休息を必要としているはずの、この艦ではただ二人しかいない、パイロットの片割れを。

 宇宙を眺めていた。意図的に落としたのか照明の消えた空間に満ちた冷たいひかりはそうとあつらえたようにキラを周囲から遠ざけていて、まるで真実夜の中に入り込んでしまったかのような錯覚をする。どこか蒼褪めて見える頬に、けれど意識して足を踏み出した。そうして、距離をつめる。自分以外には唯一のパイロットの体調が気遣わしいだけだと、理由はあった。

 どこからか、かすかな音がしていた。おそらくは、限られた空気を循環させている、モーターの振動し、あるいは空気を震わせる音。鼓膜を激しく打つ類のそれではなく、細かい震えに柔らかな気配を残し、壁へと吸い込まれ、あるいは跳ね返るような。意識の片隅をさらうかすかな音は、無音であるということよりも遥かに静かでさびしい印象がした。

「……フラガ少佐」

 ともすれば視界に入るようにと殊更にゆっくりと近付いたのを、けれど気付いてまっすぐに視線が向けられればやはり落ち着かない心地がする。耳にやわらかいキラの声は、いつも何かを許すばかりで、いまだ軍人のそれとは思われない。意識せず伸ばしかけた指先は、かろうじて掌の中へと握りこんだ。

「眠れないのか?」

 器用に言葉を選べる性質ではなかったから、やさしいもの言いをするどころか、言葉はまるでそのままに響いた。キラはかすかに睫毛を伏せ、やがてやさしく微笑んだ。窓に触れさせていた指をゆるやかな動作で離し、向き直る。

「……海の底に、いるみたいだな、って」

 キラは笑って、空気をわずか震わせることをもためらうような、静かな声で続ける。

「…ここにいると、そんな気がするんです」

 そのまま、今にも闇にとけてしまいそうな気がした。

「……キラ」

 呼びかければ向けられるまなざしは、透き通るのにどこまでも深く、まばたく間にも目の奥に沈んで翻る。

 少佐、

 つぶやいた声はけれど聞こえなかった。腕を掴んで引き寄せたそのままに、フラガが腕の中へと閉じこめたせいだ。空気は重く上下左右から身体に淡い圧迫感があって、それは眩暈を促すほどに強くキラを取り巻いている。フラガはほとんど耐え切れずに目を閉じる。キラの身体は触れればそうとわかるほどに冷えきっていて、やがて小さくその肩を震わせた。


 かえりたい


 きっと声にもならない叫びを、心はたがえずにとらえてしまった。

 この場所はどうあってもキラの帰る場所にはなりえず、それがわかっていながらフラガにはけれど帰してやることはできない。奪ったのは、自分たちだった。けれどそれさえもキラは許すのだ。おそらくはただひとり、孤独の海に立ち尽くしたまま。

 ――――できるだけの、力があるなら…

 かつて己の口にした言葉のあまりの残酷さには、それが必要であったことだとしても胸は苦く、苦しみながらもそれを受け入れたその心を思う。
 閉じたままの瞳にさえ、はっきりとそこにある隔たりは見えるように鮮明だった。




散文100のお題 / 8.硝子の境界線
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