あなたに降り注ぐものがたとえ雨だろうが運命だろうが許すことなどできるわけがない。 窓の外ではどうやら雨が本格的に降り出したようだった。 アスランは椅子に腰掛けたまま微動だにせずにいた。白い壁の室内はけれどもどこかほの暗い。浮かぶ薬品の匂いはアスランには余りに馴染みの無いもので、だからキラには尚更似合いはしない。それでもその中で眠り続けているキラを、アスランは見ていた。 意識が戻る保証はないと告げられてからも、アスランは変わらずにキラの元へと通いつめている。叶うものなら一時も離れていたくはなかった。視線の先には様々な計器に囲まれて生きるキラの姿がある。何でこんな事になったんだろうという自問の後にアスランは何も考えなくなった。ただキラを見ていた。 子供を庇ったのだと、聞いた。いつもは二人で帰る道を、けれどもその日キラはひとりだった。アスランが、カガリと約束をしていたからだ。 幼い、女の子だった。道路の向こうに母親の姿を見つけ、駆け出す様がまるで見たように鮮明だ。母親は気づくのが遅れ、そうしてキラは、迷わなかったのだろう。血を、見てはいない。すぐに救急車が呼ばれ、アスランが駆けつけたときにはもう処置は終えられていた。ただその包帯を巻かれた、普段よりも遥かに白い顔に心臓は凍った。頭を強く打ちつけているのだと聞かされ、けれどもしばらくは理解が追いつかなかった。 一度だけ親に連れられてきた。あどけない喋り方で、軽い掠り傷を頬に、礼を述べる様を見たとき、アスランはほとんど殺意を思った。理不尽だと知りながら、それでも何よりも大切な存在がもしかしたら失われてしまうかもしれないという恐怖を思えば抑えようもなかった。けれども偶々居合わせたフレイが震える手をおそらくは衝動的に振りかぶろうとしたのを、咄嗟掴んだ。 誰も気づいてはいなかった。カガリは懸命に微笑んで優しい言葉を返していた。アスランは、フレイだけに聞こえる音量で、キラの前で、とそれだけを言った。まるで落ち着いて響く声を、意識はどこか他人事のように聞いた。向けられた瞳は、もしも視線だけで人を殺せるならと思わせる程に熾烈なものだった。 ドアを二回叩いて病室に入る。フレイは黙ったままに果物を詰めたバスケットをベッド脇の棚に載せた。アスランは視線をキラから外そうともしない。 キラに、近付いた。その頬に手を遣って、指先でそっと肌を撫ぜる。慈しむようなそのまなざしは、ただ、優しい。 「傷は、もう治ったのね」 アスランの視線はキラの頬とフレイの指を追った。けれども返らない返答に、感情は煽られる。 「でも、起きようとはしないのね。当然だけど」 きついまなざしが向かってきて、殊更に声を強くした。 「あんたがずっとそんなところにいて。キラだって起きたくなくなるわよ」 「…お前には、関係ないだろう」 思いきり、心底小馬鹿にした顔をしてフレイは笑った。 「なによ、あんたもあたしもただの、友達じゃないの。それとも、自分だけは特別だとでも思ってるわけ?」 嫌そうな顔で苦々し気にアスランは黙った。相手にすまいとでも思っているのだろう。そうはいかない。 「冗談じゃないわよ、そんな自分だけが傷ついてるみたいな顔する権利、あんたにあるとでも思ってるの?ねえ」 一瞬歪んだ表情を見据え、フレイは続けた。 「ねえ、キラが好きなのよ、あたしは」 弾かれたように上げられる視線を上から見下ろした。 「あんたなんか」 怒りにか声は震える。こんな男に、けれどフレイは勝てないのだ。キラにとっての代わりには、どうしたってなれない。 「キラのこと、本当はなんにも、知らないくせに」 ほとんど憎しみをこめて、一瞥をした。何が分かるんだという目で、アスランはフレイを見る。強い視線は互いに険しさを増した。 映画を見に行くのだと言っていた。あの日の朝のことだ。久しぶりに、二人で出かけるのだと。向けられた笑顔を思い出し、フレイは息を詰める。 キラはこんなことを望みはしないだろう。はっきりとある確信に、益々唇はわなないた。 「全部、あんたのせいじゃない」 「……何を、」 怪訝そうに、その瞳が揺らぐ。許せないと思った。 「誕生日だったのは、カガリだけだとでも思ってたの?」 「………それは」 本当は、本当はわかっている。キラは誰よりもその双子の妹を愛していて、大切に思っていて、だから一緒に行きたいと言ったカガリに、咄嗟ありもしなかった用事を語った。カガリの感情は端から見ていてもあからさまであったから、フレイはそれを羨みもした。キラに対して同じように振る舞うことは、フレイにはできない。決して、できなかった。 沈黙を守ったフレイに、おそらくは感謝の気持ちをこめて、キラは優しく微笑んだ。その瞳を、今でも鮮明にフレイは思い描くことができる。そっと細められていた、けれどその直前、ほんの一瞬、さびしそうに揺れた瞳を。 この先、何十年経っても意識が戻ることはないかもしれないのだと聞かされた。目覚めるのは明日かもしれないし、ずっとこのままかもしれない。そんな、ことを。 「……キラを、好きなら」 唐突に落ちた言葉に、アスランの眉根は苦し気に歪んだ。 「もう、二度と、間違えないで」 キラがもう目覚めないなんてことはない。絶対にだ。誰が何を言おうと関係はない。だからフレイは、震える指を握りこんで、驚いたように顔を上げたアスランから視線を外した。眠り続けているキラを見つめ、瞳を閉じた。 「――――キラは、あんたが好きよ」 アスランは肺まで苦しく感じた。フレイが帰った病室はまた、低い機械音しか響いてはいない。静かだった。 震える指で、瞬巡し、けれども、シーツの上に置かれたキラの手に、触れる。変わらない温もりに、瞳は歪んだ。 縋るように握り締め、キラを見つめた。視界がぼやけて、はじめて、泣いているのだと気がついた。 キラが目を覚ましたら、好きだと言おう。キラが俺を好きでも、嫌いでも、そんなことは構いはしない。 こんなふうに目を覚まさないキラが悪い。好きだと言おう。 身勝手なことだと自覚はあった。しかし。 お前がいないと、俺は。 散文100のお題 / 37.見えないもの 見えないはずのもの
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