部屋の片隅にいた。自室の、明かりはつけられてはいない。何をするでもなく、座り込む、その瞳は目の前の壁をぼんやりと見つめている。けれど、見ているわけではなかった。カガリはただ、そこにいた。
 キラの目は未だ覚めない。学校で、目が合えば鮮やかな紅の髪はあからさまに翻された。寸前の、瞳の激しさを思い出す。雄弁な、その視線にまるで気付かない振りで、カガリは笑顔を作る。辛くはあるが、それなりに日々を過ごしているように、振る舞い続けている。
 本当は、必要のないことだとわかっていた。キラとカガリは双子で、誰よりも近しい魂を持つ、片割れで、その意識が奪われたままであることに苦しんでいないはずはない。けれどもだ。こんなふうに、意識の全て、感情や感覚までも浚われているなどと、誰にも知られたくはなかった。カガリは、あくまで、強い存在でなければならない。キラの意識の戻らないことに苦しんでいる、アスランの為にもだ。そうでなければならなかった。
 二人でと交わされていた約束を知っていて、一緒に行きたいと我儘を言った。あの日は、カガリの誕生日でもあったから。そのうえ、アスランが一緒だった。キラが我儘を受け入れてくれることはわかっていた。
 キラの、驚いたように開かれた瞳を思い出す。それからすぐに、ちょうどよかったと笑った。用事ができてしまったのだと言ったキラの代わりに、そうしてカガリはアスランと二人で出かけることになった。
 悟られまいと、思っていた。そう思われるように仕向けたのも自分で、だから何も言えはしなかった。けれど本当は、…本当は、そんなことを望んでいたわけではない。




 誕生日。キラと二人、この世界に生まれ落ちた日。それは他の何にも比べられない、特別な日だ。物心ついた頃から変わらない、大切な日だった。
 了承し、立ち去ろうとした刹那だった。何も言わず、すぐ側に佇んでいたフレイに向けて、キラは優しく微笑んだ。振り向いたカガリの視線には、二人共に気付いてはいなかったのだろう。そうでなければ。
 意識して、顔を背けた。偽りようもない表情をしているだろうと、自覚はあった。
 病院に、あの空間に、今もアスランはいるのだろう。そうして、その瞳が開かれる日を一心に、ひたすらに切望している。あるいはフレイもだ。カガリにはとても、真似のできない。
 意識の戻らないキラの、その頬に触れたとき。震える指の、その先にともった熱は、カガリの胸を深々と貫いてまるで串ざしにした。
 あれから消えたことはない。あまりにも鮮やかな、その痛みだけが、カガリに残された感覚の全てだ。けれど痛みに耐えるとき、いつでもキラの顔が思い浮かんだ。それは幸福なことのようにも思えた。
 呼んでいるのかもしれない。縋りたいのかもしれない。傍において欲しい?二人でいなければ息さえ止まると本気で信じた頃もあった。
 名前を口にすることもできない。呼び方なんて忘れてしまった。かつて自分の一番近くに寄り添っていたその名は、いまはもうずっと遠くにあって、カガリには触れることさえできない。
 俯いて、息を吐き出そうとした唇は震えた。とめどもなく頬をすべり落ちていく滴にも指は動かない。視界は水ににじみ、歪んで、形あるものなどは何も見えない。見たくはなかった。欲しいものはただひとつだ。永遠に手に入ることのない、決して届きはしない、それでも胸の潰れるほどに魂の希求し続けているたったひとり、それだけを。
 願うことさえ罪なのだと、けれど誰よりもカガリは知っていた。
 いっそその体に繋がれた点滴を抜いて、配線を引き千切って機械を止めて、そうして終わりにしてしまえたらと浮かんだこともある。そうすれば、少なくとも誰にも奪われはしないのだと。身勝手と知りながら、確かに思った。
 闇はあまりに深い。照らす光のない、冷えびえとしたその中で、カガリはひとり、立ち尽くしている。
 キラに会いたい。ただ、それだけだった。




散文100のお題 / 43.パンドラの箱
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