いつか、と。失う心積もりは、できていたはずだった。




 夏服で生地が軽いのか、上着の裾が風にさらわれ、裏地を見せた。灰色のポリエステルは曇天を曖昧に映す。ばたばたと、また、裾が翻った。シャツの隙間から入り込んだ風に肌はさらされている。台風が、近付いているのだ。キラは風に息を乗せた。
「本当のこと、言ってほしいんだ」
 前髪が目を狙うので、一瞬瞼を閉じてかわした。踊った髪は、スローモーションに見えた。
「私のこと、どう思う」
「…カガリ」
 手摺りに置いた手をそのままに、振り向いた。強風に、なびく髪に眇めたままの、瞳を向ける。鮮やかな金髪は、無残に散らされてもやはり変わらず、やわらかくカガリを彩った。琥珀色の瞳は、けれども輝きを顰め、どこか不安に揺れている。強く吹き上げられ、屋上まで届いた葉が刹那校庭の方へ飛び去ったのを、無意識にキラは追いかける。これほどに空に近づいても、地に落ちれば後は乾きひび割れ砕け、やがては土に返るだろうそれを。警戒警報が出た所為で、授業は切り上げになり、校内はほぼ無人だった。屋上への鍵は、カガリが壊し、キラは呆れた顔でそれを見ていた。
「こんなこと、キラにしか聞けないんだよ」
「どう、って」
 カガリはわずか躊躇うように、足元に視線を落とす。それから、縋るようにキラを見上げた。こういうとき、カガリは本当に無自覚にキラを振り回す。ほとんど愛おしさに胸を突かれ、反応は遅れた。
「…少しは、可愛いとかさ」
 思うか、というのは、びょうとすさぶ風にきれぎれとなった。キラは、いっとき口を閉じ、
「……そんなこと」
 と、言った。聞かれるまでもないことだったからだ。けれどもカガリは、それ以上の言葉を遮るように手をあげる。
「いい。言うな。ごめん変なこと言って。忘れろ」
 心なしか早口に、息もつがずに続ける。
「…可愛いよ」
 言葉に、漸く顔を上げた。瞳は今にも泣き出しそうだ。まっすぐにあわせたまま、キラは微笑んだ。
「カガリは、可愛いよ」
 本心からの言葉だ。カガリは可愛い。大事な、大事な妹だ。誰よりも、幸せになってほしいと思う。だから。
「大丈夫。アスランは、カガリを好きだよ」
「な、」
 微笑んで、告げた。途端頬を赤く染める様には眦を細める。そのまま手をとって、引いた。いい加減、風は勢いを増すばかりだ。俯いたままついてきているだろうカガリの手のひらは、キラよりもやはり小さい。通用口を目指しながら、そっと瞳を伏せる。胸の奥底にささる小さな欠片にはひたすらに気づかぬふりをする。
 にび色に重く迫る空が、雨を予感させた。




 キラは、カガリがアスランに惹かれていることを知っていた。
 双子だとか、そういうことはきっと関係がない。口にはせずとも、ふとしたときの視線が何よりも多くを語った。
 キラとアスランとは幼馴染みで、カガリよりも余程付き合いは長い。ごく最近までキラとカガリは別々に育ち、存在も知らされてはいなかった。だからこそなのだろうか、とうに親のないキラにとってカガリは唯一の肉親で、何よりも愛すべき存在だった。
 気づいてしまったのは、いつだったろう。初めて紹介したとき、本当にキラによく似ていると穏やかに笑った親友が、ひどく優しいまなざしをカガリに向けるようになっていたこと。
 いつまでも、変わらずにいられるはずはなかった。覚悟は、できていたはずだった。
 いつかと思いながら、それでもどこかで、変わらずにこのまま、三人でいられればと願っていた。
 愚かだと、笑うだろうか。




 電話越し、告白をされたとアスランがキラに告げたときも、だからキラは驚かなかった。
 笑って、おめでとうと返した。
 そうして、その唇がわずかばかり震えていたのを、アスランは気づかなかった。
 それで、終わりだ。




 仰のいた空には雲ばかりがのしかかり、日など射さぬ。黒雲を亀裂が裂き、雷鳴が耳を劈く。
 とうに濡れた体で、早く帰らねばと思うのに足は動かない。今は、今だけは優しく笑える自信がなかった。その瞳の色を好きだと言った幼い声を思い出して、一層震える。
 そのまま、顔を覆った。




散文100のお題 / 48.僕はこの目で嘘をつく
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