陽に分け与えられたかすかな暖かさをのせて、風は、人工の大地にも隔てなく春の訪れを告げる。遥か遠く、閉じ込めたはずの、想いを呼び覚ます。
 私の心音は、何処で鳴っているのだろう。


 雨が降り出していた。
 通り雨に降り込められた部屋の、薄いガラス越し、窓に落ちた雫にラクスは指先を触れた。熱の移りゆく、そっと、触れた瞬間にだけ落ちたかすかな感覚に、わずか息をとめる。やがて握りこまれた掌の中、こもった力のままに、ほとんど衝動で外に抜け出していた。
 人のいないほうへ、誰もいないところへ、傘もささずに急いだ足は気づけば街はずれまでを歩いていた。無秩序に生い茂る木々、人気のない場所へと進むうちにいつのまにかうち捨てられたような広がりがあって、そのさらに深くにひっそりと廃屋があった。崩れたその戸口に寄り添うようにして、ラクスは雨を見ていた。
 やがていつしか降り止んだ雨の、雲の切れ晴れ上がる空を、破れた屋根の向こうに見上げた。


 ひかりが射していた。春の柔らかな光は崩れた空隙を抜け、細く、けれども廃屋の奥にまでを射しいる。
 涙の溢れそうな瞳を、震える睫毛を無理に伏せ、ラクスは俯く。けれど唐突に、古びた木材の軋んだ音が鳴り、ラクスは振り返る。
 廃屋の屋根は奥へいくほど滅びていて、ひかりが射している。薄暗いラクスの足元から、紗のように重なり、遠ざかるほどに色をうばい輪郭を消しかかる。
 風もない中をちらちらとひかりが舞っている。かつては教会であったのか、最奥には教壇があり、粒子の紗幕のむこうで、人影は空へ視線を向けていた。

 ひかりが。淡い、ひかりが幾重にも射していて、風はなく、耳をすませばさらさらと時間の流れる音だけが聴こえた。遠くでは、鳥の。
 身動きもしないでいると遠い、稜線のほどけた横顔が、ひそやかな、静かな声でラクスと呼ぶ。

 ……ああ。

 声は響かない。
 折れそうな床板にも頬を落ちた雫にもかまわずにただ、駆けた。




散文100のお題 / 99.お帰りなさい
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