ありきたりの挨拶をして笑顔を浮かべる。礼儀正しく、それこそ優等生の素振りで。母親に連れられて時折訪れもしていたプラントでの生活に、自分を慣らすことはそう難しくはなかった。上辺だけの言葉、儀礼通りに向けられるやさしさ。以前のように目まぐるしく表情を変えるようなこともなく、淡々と過ぎていく日々の中で、それまでならば無関心に通り過ぎていたはずの言葉に笑ってしまったのは、それらがあまりに意味を持たない悪意だったからだろうか。女のような顔をしていると嘲った少年は顔色を変えて何かを続けていたが、それ以上は意識せずとも上辺を過ぎていった。穏やかで、息の詰まるような、けれど正しく制御をされた天候は月のそれによく似ていた。
 予報で告げられていた通りに降り始めた雨は、無秩序な風に乱されることもなく糸のように地上へと降り落ちる。重く雲が空に垂れ込め、常ならば遠くからも聞こえるはずの嬌声もない、耳を覆うのは雨音ばかりだ。講義の間隙、カレッジの、人気のない方へと足を進めているうちに、雑然とした木立へと踏み込んでいた。
 息を漏らす、立ち並ぶ幹の一端に背を預けて空を仰いだ。濡れた髪から滴る雫を遮るように手を翳し、それから瞳を覆うように抑える。視界を遮ればいつでも、思い起こすのはそれまでのほとんどを生きてきた、月での日々だった。他愛もない会話、小さな約束、相手の気性からか喧嘩をしても次の日にまで引き摺るようなことはなく、記憶の大概は苦笑やら、幼い笑顔と共にあった。母親同士の仲がよかったことから小さな頃はよく預けられもして、それこそ家族のような近さにいたのだ。当たり前のように。向けられる好意を疑うことなどなかった。大切なものと、身近なものは常にイコールで結ばれていた。
 もっと幼かった頃、彼と引き合わされる以前に思考を向けようとしても、今はもうそれらはぼやけて霞んでしまう。自身の記憶のほとんどは、彼と彼にまつわる思い出に構成されているようなものだった。あたたかく、やさしいばかりの。年よりも幼い振舞いをする彼はよくアスランを頼ったが、そういった彼に依存をしていたのは余程自分だった。彼は気付いてはいなかったのかもしれないがそれでも、本当はいつも救われていたのだ。どんな形でも、彼には必要とされているのだと信じられた。
 手を下ろし、雨に打たれるままに顔を上げる。まだ幼い、子供の、どうすることもできない立場で、それでも別れ際の約束にいつでも縋っている。きっとまた、すぐに、今までのように共にあれるはずだと。泣き出しそうな瞳で、それでも微笑んでいた。あれだけが守りたいもの、大切なものだった。彼だけがいればよかった。それだけで他には、何もいらなかったのだ。
 滴る雫を振り払うように頭を振って、背を離す。いまだ馴染まない、じきにこのカレッジの予鈴が鳴る。踵を返す仕草で振り仰ぐ、ほんの一時、花のとうに落ちきった桜の木を見つめた。そうして少しだけ目を伏せる。次には顔を上げ、振り切るように背を向けた。




散文100のお題 / 51.気の狂いそうな平凡な日常
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