強く、海にさらされた風が髪を流しては頬を過ぎていく。果てなく広がるばかりに思える青と、空との境界線も曖昧になるような。初めて外に出たときのことを、今でもよく覚えている。それまでに過ごしてきたラボでの日々、生き続けるために、生き残ることが全てだった時間が、まるで遥かに小さなことのようにも感じられた。日常にあった、何処かで死んでいれば知らずに終わっていた程度のことでも。考えたこともなかったからだ。吹き過ぎる風も、眩しいほどの光を振り撒く太陽、当然のように頭上にある空の色も、思い描いたこともなかった。誰にも悟られたくはなかったが、感嘆したのだ。世界は広く、視界に触れる全ては輝いていた。

 デッキの上へ、早くに目が覚めて足を向けたことに取り立てて理由はなかった。何処に向かっているのかも知らない、母艦は昼夜の関係なしに進んでいる。縁にまで近づいて腰を下ろす、身体を投げ出して空を仰いだ。今はまだ薄青い、夜明け間際の色が何処までも何処までも続いていく。途切れることのない、艦に触れる波の音を聞きながらも、静かだと感じていた。絶え間なく続いていくもの、この世界から何が失われてもおそらくは変わらないもの。目を閉じてもまだ瞼裏には残る。

 戦うこと。生きること。殺すこと。同じ意味でしかない言葉に差異を思う必要はなかった。勝つのは好きだし強くあれることは嬉しい。そこにある意味や理由などは自分たちには遠く与り知らぬことだ。見えるもの、触れるもの。ただ、その時々の今が全てだと知っている。

 唐突に名前を呼ばれて振り向いた。いつの間に近づいてきていたのだか、目を細めて見上げれば呆れたような苦笑が降りてくる。

「こんなとこにいたのかよ、探しちまったじゃねぇか」
「なーんで」
「ステラが、アウル、何処ーってうるさかったんだよ…」

 朝っぱらから。ため息混じりにも、振り返る視線を追って、馴染んだ名前を響かせる。いつも通りに海に瞳を輝かせていたらしいステラが、数テンポ遅れて笑顔で駆けてくるのには堪らずに、二人で顔を見合わせて笑うのだ。

 何の繋がりもない関係でも、他の何より近しいと感じている。この世界に何がしかの意味を見出せるとしたらそれきりだ。けれども、こうして生まれてきたことを不幸だとは思わないのだ。いつでも全力で走っていれば後悔もない。そうしていつか、死ぬときにも。振り返り、楽しかったと思えればそれでいい。

「馬っ鹿みてぇ!」

 何を何度忘れても、こうした日々の全てがきっと何処かには残っていくのだと笑う。また今日の朝を連れてくる、眩しく見上げた空は、あまりに青い。




散文100のお題 / 54.ピーターパンシンドローム
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