当然のように、慣らされてしまっていくことが多すぎたのだ。落ちる雨の雫の中を歩きながら、キラは瞳を伏せる。時折吹き付ける風の冷たさには強張って、震える掌で前髪を引いた。雨に混じり流れるものがあるとしたら、擦らずともきっと瞼は腫れてしまうのだろう。
 いくらか勢いの弱まった雨は、いつしか重たく降り落ち始めていた。雪に変わってしまうのも時間の問題だろうか、末端の感覚はとうに麻痺をし始めていて、指先からわかりやすく赤く染まっている。息を吐けば白く凝って消える。もう冬がそこまで来ているのだと、濡れ落ちる前髪の隙間から、キラは雲に覆われて薄紫の空を見る。
 記憶。都合良くブランクを抜かせば、思い出せる過去はあたたかなものばかり溢れているような気がした。気にかけなければならないもの、考えざるを得ない事柄、あの頃とは違う、同じようにはあれない。それでも泣き虫なのは変わっていないと、彼ならば困ったように笑うのかもしれない。思い浮かべることも容易に過ぎて、キラは少しだけ唇の端に笑みを刷いた。振り払うように瞬いた瞼からはまた一筋、熱を持った雫が滑り落ちていく。
 好きだと、告げられてそれを斥けたのはキラだった。揺れた感情は表情には出なかったはずだ。ただ、迷惑だと。真摯に向けられていた瞳が揺らぐのにも気づかない振りをして、謝罪の言葉にも首を振った。今でも誰よりも、大事な友達だとおもってるのだとは到底思われない所作だったようにおもう。
 キラはぼんやりと考えて、それから顔を上げた。いつも、いつでも大切なもののなかに彼の名はあった。命と引き換えにすることも容易い程だ。矛盾をしているとしても、戦争のさなか、刃を向け合っていた頃でさえ自分が彼を殺せると考えたことはなかった。
 そうして戦争が終わってしまえば、けれど理由もなしにはほとんど逢うこともない。確かに必要であった理想、上辺だけの綺麗な言葉ばかりを交わして、それ以上に踏み込もうとはしなかった。できなかった。夢の中で何度も横切るのは守れなかった人たちで、瞼に残る様々な表情には声も出せずに泣いた。目を覚ませば意識して迷いなく振舞おうとして、それでもラクスには、ともすれば気遣われてばかりいた。アスラン。カガリ。背を向けた向こう側からさざめく笑い声はいつもあたたかだった。やさしい過去の風景に似ているようで、遥かにまぶしく、いとおしくおもわれた。キラにはもう二度と、触れられないものだとしても。そばに居るだけでしあわせだとおもえた。
 友情も愛情も何も、キラには要らなかった。間違った存在であるなら、そのまま消えてしまえばいいのだとおもっていた。ラクスが意味を与えてくれなければ、とうに終わっていた、その程度のものにすぎなかった。
(…なのに、なんで)
 息をつくように、吐き出した呼吸が震えていた。
 そうと望めば会うこともできる距離で、アスランからすればそれは物理的な距離だけだったのかもしれない。けれどキラには到底近づけない、その差異を、嬉しいとおもったのも真実だった。
 自分の行く末がどうなるかなどキラにはわからない。けれど穏やかな死であってはならないのだと、そればかりを幾度も考えた。どうか誰にも知られずにひとりで、無残な形でと。それでもきっと、そのときにも思い出すのだろう。まるで過ぎる幸福のように。

 君はそのままであればいい。遠く離れても、君が忘れてしまっても、僕の中に残るものはあるのだから。

 キラは空を見上げた。今は暗く覆われて見えない、あの雲の向こうにキラの帰る場所はある。闇に包まれて、光の届かない深淵へ。肩に寄り添うトリィだけを連れて、声に出さずにさよならを告げた。




thanks BLANDWIN 50
B A C K