夢の中で、目の前に広がっていたのは夜の海だった。光を浴びて一面にキラキラ輝く姿とは違う。打ち寄せる音もひそやかに、地平線の彼方、空の果てにまで続いているような深い闇を湛えた。散らばる星の光は海の上にも映りこんでぽつりぽつりと見える。きれい。小さく呟いて、ステラは足を踏み出した。髪を流す風はいつかの記憶のままに潮の匂いをのせている。さらさらとやさしい砂の感触を確かめるように歩いて、波打ち際にまで。裸足の足裏を撫でる、ひんやりとした波と、奪われて流れていく砂の感覚はとても心地いい。無意識にも笑顔が浮かんでくる。
 変わらぬ歩調で、いっそうに海の深くへと足を進めてみる。足の半ばまでを浸食されれば時折波の勢いによろけもした。緩やかな流れ。濡れたスカートの裾は水の中でふわふわと揺れている。このまま深くにまで沈んでしまえば、もっと自由に海の中を歩けるような気がした。そのときに。

「ステラ!」

 名前を呼ぶ、声。それから強く腕を引かれて引き戻される。反射に振り向けば間近には見知った色があった。ステラの何よりも嫌いな色。けれど気遣うような気配を湛えた、その瞳のやさしさをステラは知っている。
 瞬いた瞬間、海の向こうから風が吹きつけてきた。打ち寄せた波に足を取られそうになり、彼の胸へと倒れこむ形になる。同じように波に押されながらも、とっさに身体を支えるように、まわされた腕はあたたかい。
 抱き締められる形で見上げた。名前を口にしようとして、けれど確かに知っていたはずの言葉は何故か形にはならない。まるで記憶の何処にも残されていない。もどかしく口を開いて、けれど息ばかりがもれる。

 どうしてだろう、私は、あなたに呼びかけたいのに。

 目の前に広がった光、もがくように目蓋を押し上げたときには、けれどもうステラの中に夢の記憶は残っていなかった。ぼんやりした視界に映るのは馴染んだ部屋の光景ばかりだ。欠片も覚えていないくらいだから、どうという夢でもなかったのだろうとステラは思う。それでも胸に残る感慨はあたたかい。いつもそうだ。夢を見たあとには幸福な気持ちばかりがある。それなのに、今涙が出てくるのはどうしてなのだろう。部屋の光はとても眩しい。不思議に思いながら瞬けば、ひとすじ、瞳から溢れた涙が頬を伝った。




モノカキさんに30のお題 / 13.螺旋
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