共同使用のロッカールームではなく、シャワールームの個室に入ろうとしていたのを、腕を無理に掴んで連れ出して、自室に連れ込んだ。
 抵抗しようとしてわずかに顔を顰めたのを気づかないふりで、ほとんど投げ出すようにしてベッドの上へ座らせる。
 薬だの包帯だのはすぐに取り出せる位置に置いてある。おそらくは今日のキラの、アスランに対する態度と同じ理由だ。
 キラはひどく居心地の悪そうにしている。自然、口調は冷えた。
「見せてみろ」
 片膝をついて、目線を合わせれば戸惑うようにする。平然と振舞えているつもりならあまりに愚かだ。
「…何を?」
「無理に動かすな。悪化するだけだ」
 驚いたように、刹那見開かれた瞳はすぐに緩んだ。少し笑って、イザークを見る。
「……大丈夫だよ」
 あくまで素直に言葉にはしないのに、無機質な表情を思う。不機嫌になど、なりたくはなかった。
「別に言うつもりはない」
 誰に、とは言わない。言わずとも、菫色の光はあからさまに揺らぐ。
「気づかれたくないなら、尚更だ」
 諦めろと言外に告げる。睫を伏せて、苦笑するのには思わず眉を顰めた。




 新兵を対象にした、白兵戦の戦闘訓練だった。明らかに技量は違った。キラに指導を受けていた相手の、技をかけることすらできず、それでも諦めようとしないのには感心もした。問題は、明らかに負担のかかる体勢で攻撃を仕掛けたことだ。怪我のひとつやふたつは覚悟の上で、紅にせめて近づきたかったのだろうとは思う。けれど。
 キラは、避けなかった。充分に避けれるタイミングで、できるだけ勢いを殺すようにして受身を取った。結果相手に怪我はなく、キラも笑ってアドバイスなどをしていた。
 顔を顰めたのは一瞬だった。それは偶々、他の新兵の質問にアスランの視線が逸れていたときだった。でなければ気づかないはずはないのだ。おそらくキラにとっては幸運で、それがイザークにとっては苛立たしい。




 差し出された左腕の、部分的に青黒く変色した肌に幾度かしばたき、それから指を落とした。
 キラは唇を歪めて、あくまで声を噛み殺している。
 強打したことによる痣と、軽い捻挫と。
 体重差のあった相手のわりに、(ひとえにキラが規格外すぎるだけなのだが、)うまく勢いは殺せていたらしい。
 骨に異常はないようで、小さく溜め息をついた。
 剥き出しの肩は寒々しい。言われるまでもなく無臭の湿布を使って、手早く包帯を巻いていく。
「イザークが、」
 声に、顔をあげれば存外に近い。睫がもう触れそうだ。瞬間跳ねた心臓は無視して、けれど唐突に耳に指を掛けられた。
「な」
「耳に髪かけてるの、初めて見たよ」
 わずかに首を傾いで、それから眩しい笑顔を向ける。
 肌に触れる、前だ。そういえば、髪に触れたような気もする。
 視線は無理に手元に落としたが、とうに心臓は酷い有り様だ。
 血の流れが指を打ち震わせ、端がまるでうまく結べない。
 イザークは殊更に、指先に意識を集中させた。
 けれど耳から髪を落として、キラの指の感触が離れる。
「……ありがとう」
 常よりもわずかに低く、ひそやかにささやいて。
 包帯を巻き終えられた腕が、イザークの手から離れ、上着を取った。




 扉が開かれたときにはもう、普段と変わらない素振りだった。見つかったことにあからさまに安堵して、それでも、大して親しくはないイザークの部屋にいたことには訝しげな視線を隠そうともしない親友に笑顔を返して。腕を庇うようにしてわずかにぎこちなかった動きも、途端本当に自然なものになった。
 イザークは壁にもたれた。不安定に息を吐いた。目眩がしそうに思い、けれど感触が残っているようで、触れることもできない。
 そういった自らの行動の意味を、けれどもイザークはいまだ掴みかねている。




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