抑揚ない声音。ぼんやりとしているようにも見える態度で、バトルのことをほとんど何も知らないまま、植木はただ守る為だけに戦っていた。関わった状況からの流れで、説明の為に上げた佐野の夢の話も、多分ほとんど関心がなかったとしても馬鹿にしたり笑ったりもしなかった。煙突での遭遇の時からわかりにくいにしろ優しい相手だということも佐野は知っていた。それに能力の応用の仕方も独特で面白かった。お互い万全の時に戦えたら、きっととても楽しいだろう。
 一応犬丸からの願いに巻き込まれた立場ではあるにしろ、元々佐野は能力を使ったバトル自体は純粋に楽しんでいる。たとえば植木となら、傷つくことなんて構わずに互いに笑って戦えそうな気がする。このゲームの間だけ使うことができる能力の応酬、力くらべも知恵くらべも存分にだ。想像しただけでも気分が高揚するし胸が明るく騒ぐ。
 戦いが終わってしまえば、感情を煽られるようなことは何もなかったかのような表情で、植木はクラスメイトであるらしい少女が目を覚ますのを待つのだと言っていた。無理に起こすのではなく、あくまで生真面目にだ。そういった律儀さも佐野には好ましく感じられたが、能力者同士またいつでも会えるだろうと簡単に手を振って別れを告げた。そうして体育館を抜けて一人になった途端に、すでに慣れた感覚で馴染んだ気配が後方へ現れるのがわかった。
「佐野くん!」
 勢いよく駆け寄ってきて正面へ回り込み、犬丸は確かめるように佐野の姿をあちこちの角度から見つめてくる。相手の神候補から金縛りにはされたが、佐野が盾になっている間に再度立ち上がった植木が反撃に成功したので、佐野は相手の攻撃を食らってはいない。佐野を見守る立場にある彼は、いつも何処かからバトルの一部始終を見届けているらしい。今回だって当然その例に漏れないのだろうと思うのだが、近くで目で確認するまで犬丸は安心が出来ないようだった。熱心な性格の為なのか犬丸は本当に義理堅く、担当している佐野への気遣いも毎度尋常ではないのだ。
「佐野くん大丈夫ですか、どこも痛くないですか」
 佐野の呆れ顔にもまるで構わずに訊ねてくる。真摯な瞳に押されて佐野が頷けば、それからようやく犬丸は心配顔を少しゆるめる。
「……ほんま期待を裏切らんやっちゃなぁ」
 いつでも熱く突っ走っていく犬丸の様子は正直見ていてとても面白いのだが、それ以上にどうにも佐野を面映い気持ちにさせる。漏れる苦笑が果たして彼に向けられているのか、そういった自分に対してであるのかでさえ最近は判然としない。
「おれは平気やて。見とったんやろ?」
 佐野の問いには頷きながらも、今日の犬丸にはまだ落ち着かない様子がある。首を傾げて見やれば、両脇に握られていた犬丸の掌が、手袋越しにまた強く握り締められたのがわかった。
「神候補が手を出すだけでなく、能力まで使うなんて……」
 佐野の怒りを駆り立てた、平とラファティのルール違反の行為はやはり犬丸までもひどく立腹させたらしい。
「せやな。けどおれ、ちょっと不安やったんや」
 同意を返しながら告げれば、犬丸は怪訝そうに佐野を見返してくる。年は確かに離れているのだが、いつでもそれを感じさせない表情だ。真剣な表情の時は凛々しくも見えるのだが、元々が童顔なせいもあるのだろう、大きな瞳もそれに輪をかけている。佐野は笑って犬丸のそういった表情を眺めやる。
「あれでワンコまで手ぇ出してしもたら、アウトやったろ」
 からかう口調で口にして、そこまで危うくはないとすぐに否定が返されるかと思えば、目の前の犬丸からは少しの間があった。酷い行為に煽られて同じ対応を返してしまえば、けれど結局は相手と同じになってしまう。その上能力者のようにただゲームが終わってしまうのではなく、ルールを犯せば神候補は地獄に落とされる。死刑になるのだと聞いた。バトルでの一時に、佐野を助ける為だけに払われるにはあまりに大きすぎる犠牲だ。
「だ、大丈夫です。君まで失格になるような危険は冒せませんし、」
 在り得ないこととはどうにも言い切れない。佐野の心配をよそに、いくらか目を伏せて論点がずれた理由を続けながら、犬丸は唐突に力強く顔を上げる。
「僕は、君を信じてますから!」
 力いっぱい続けられた言葉。躊躇いは微塵もない、気恥ずかしい言葉を少しも裏切らない真直ぐな眼差しは熱く佐野へと注がれている。珍しい金色の虹彩が強く輝いて、いくらかのあいだ佐野の時を止めた。
(……そや、それに、植木とバトルせんですまんなって言おう思てたんに)
 他人のバトルへ助太刀をしたことも、下手をすればそれで能力を失っていたかもしれないことも、そんなことは犬丸の意識の端にも上っていないようだった。怪我をしていた相手とどうして戦わなかったのかなんて当然訊ねもしない。同じ性分。たった二度会っただけだった、犬丸からの現実離れした頼みを受け入れようと思った時の出来事を佐野は眩しく思い出す。交わす言葉も態度も、そういった事柄全部がいつもどれだけ佐野を嬉しくさせているか、きっと犬丸は知らないだろう。
「――おれもな。……見つけてくれたんがワンコでよかったわ」
 お前の為やったら死んでもええよ。あたたかく胸を占めた思いは言葉では続けずに佐野は笑う。大きな目をさらに開かせた、大切な親友の笑顔が浮かぶのを待った。

TITLE:駆け抜けるように過ぎた
loca:あいうえお44題