本当は手作りに挑戦したかったんだけど。申し訳なさそうな表情さえ浮かべて犬丸は言った。
 目の前に鎮座しているのはいわゆるバースデーケーキだった。紛うことない。生クリームで飾り付けられて、綺麗に苺が飾られて、仕上げに名前入りのメッセージプレートがのせられている。
 二人で食べるのに適したサイズだとか、もっと根本的な部分にはまだ考えが至らないらしい。ろうそくも貰ってきたよ。ケーキを覗き込む横で皿を並べながら嬉しそうにはにかまれて、こちらのほうが気恥ずかしくなる。記念日を主張するプレートは薄いチョコ製で、ごまかすように差し伸ばした指先で突ついてみせた。
「これ、なんて注文したんや」
「え?」
「字書いてもらうやろ。せいいちろう、て言うたん?」
 何気なく訊ねて、少しばかり生じた間に気付いて顔を上げる。不自然に固まった表情を興味深く眺めていると、遅れていくらか小さな声が返った。
「……ええと。口頭で言ったわけじゃなくて、紙に書いてくださいって」
「ああ、漢字やもんな」
 確かにそのほうが伝えやすそうだ。どんな顔をして名前を書いたのか気になったが、この答えには納得しながら、もうひとつ。
「清一郎くんやなくて、呼び捨てな」
「あ、の、それは……」
 男の子の名前だと、こういうのは自動的に君呼びになるって聞いてて、だから、
 ろうそくを差す指がすっかり止まっているのを手伝って、適当にあいている場所に差していく。10の分は少し太めのものを一つ。ここまで改まって誰かに誕生日を祝われるのは思えば久しぶりだった。添えてあったマッチで火をつける。照明を落とせばろうそくの仄かな光だけがゆらゆらと部屋を灯した。今日もすでに日は落ちているのだ。外の暗さも今更に実感する。
(誕生日、なぁ)
 ろうそくの火を見つめながら考えていた。吹き消してしまえばすぐに照明を戻して、それできっといつも通りになる。
「佐野くん?」
 少し距離を開けた隣に並んで座っている。オレンジ色の光にぼんやりと照らされている犬丸を眺めながら口を開いた。
「なあ、声に出さなあかんかったら、なんて言うた?」
「え」
 呆けたような表情を向けられて、少しばかり笑いながら続けた。
「名前。――ワンコやったら呼び捨てでもええよ」
 それに、早くしないとケーキが溶ける。からかう口調で促せば、顔を俯かせて、床に置いていた片手を不意に握られた。吐き出しかけた声の気配と、口に出す前にわずかに震えた息と。
「誕生日おめでとう…………清一郎、くん」
 たっぷりの沈黙の後にようやく一度。声を聞いて、顔を見られる前に急いで火を吹き消していた。


 握られたままの手のひらに拘束の強さは無論ない。だから、あと少ししたら手を離す。二人でケーキを食べて、それでいつも通りに笑おう。
 甘い生クリームの香りが漂う室内、沈黙の中。繰り返し考えながらも、まだ手を離すことはできない。

TITLE:微かに確かに
変わっているお題配布所:089