雲に覆われた空は暗かったが、それだけ目指す地上は明るく見えた。家々の窓から落ちる明かりが星のように輝いている。温もりを伴った無数の光。けれども僕はその中の一つ、たった一つだけを見ている。今だけは、天界からは他の光と区別して見分ける事も出来ない、その光を。


 こんばんは。言いかけた挨拶もそこそこに窓から室内へ引っ張り込まれた。すっかり見慣れてしまった彼の部屋。これもいつからか、窓のすぐ横には読み古しらしい雑誌が詰まれていて、靴を置けるように広げてくれる。帽子を外した髪の上にはタオルを落とされて、上着にも指をかけられた。
「水ん中浸かってきたみたいやで」
 雨が随分降っている中を抜けてきたので、確かに着たままでは乾きそうにない。ファスナーを下ろされた上着から腕を抜いて、一度フローリングの床の端に置かせてもらう。頭上のタオルは佐野くんに掴まれて、濡れていた脇の髪を拭われた。いつも湯上りに自分の髪を拭くときよりもずっと丁寧な手つきで、ふわふわと首元を掠めていく。
「天気くらいどうにかできるやろ」
 手を動かしながらの呆れた口調。不可能ではないけれど、自分の為だけにするようなことじゃない。そんなことは多分知っているうえでの軽口で、佐野くんはからかうみたいに僕の額をつついた。
「飛んでるあいだはあっという間なんだよ」
 早く君に会いたいって、そればかり考えているから。本心で口にしてみても、音にした言葉はいつもずっと簡単に響いてしまう。離れていた時間、どれだけ会いたかったかなんてどうしたって伝えきれない。
「こういう時のワンコは信用ならんわ。冷えきっとるし、あったまるだけでも風呂入るか?」
 言いながらもう準備に駆け出しそうで、僕は彼が行ってしまわないよう、とっさに手を伸ばしていた。腕一本分の距離を詰めて、そのまま背へ回す。触れた箇所から、僕よりもいくらか高い佐野くんの体温が伝わってくる。乾いた髪に顔を埋めると、お風呂上りなのかシャンプーの香りが鼻をかすめた。
「佐野くんのほうがあったかいです」
「……湯たんぽ代わりかい」
 苦笑の気配で、佐野くんの手が僕の服を掴んだ。肩口に小さく吐き出された息が触れる。
「ええけどな、これやと俺も着替えんとあかんわ」
「え、……あっ」
 体温が下がりすぎていて言われるまで気付かなかった。打ち付ける雨の中を抜けて、濡れていたのは上着だけではなくて。慌てて離れようとした身体は佐野くんの腕で阻まれてしまう。
「ワンコが悪いんやから、一緒に風呂くらい入ってもらわんと割にあわんなぁ」
 僕の肩に額を押し付けて、佐野くんは楽しそうに笑っている。細い身体を腕の中に大事に抱きすくめたまま、僕はじわじわと自分の体温が上がっていくのを感じていた。冷静になろうと努めても動揺に走る鼓動は止めようがなくて、その前にのぼせてしまいそうだと思った。

TITLE:まるで人。
変わっているお題配布所:079