なんでこういう状況になったんだっけ。


 植木の視界には、ほとんど目の前に佐野の火傷が見える。一緒に過ごした時間はもう結構長いけど、ここまで近づくことなんてそうそうないので、こんなふうに正面から見つめるのはこれが初めてだった。名誉の負傷。火傷のことを一番初めに話したときに佐野がそう言っていたので、植木もそう思って見ている。植木が初めて佐野に会ったときからそれは佐野の特徴のひとつだったので、火傷の痕がない佐野のイメージは植木の中にない。昔に焼けた皮膚の、赤い色。痕になる前は、痛かったろうなとは思うくらいだ。それがあってどうかと言われれば、似合ってはいる。多分。
「うし! こんな感じやな」
 襟ぐりを熱心に追っていた佐野の視線が満足げに持ち上がって、とんと拳の先を当てられる。胸の真ん中を、上から。それで植木は、ああと思い出した。
「どうやー、植木」
 そうそう。ネクタイだ。植木の学校の制服は学ランで、だからこれまで身に着ける機会がなかった。巻いてみたことがないから結び方もよくわかっていなかったけど、この先も機会があるかどうかはわからないし、今のところ別に不都合もない。大阪での佐野の制服はブレザーだというのでそういう話になって、それで佐野が結び方を教えてくれることになったのだ。
「ごめん。聞いてなかった」
 問いかけに正直に答えると、まだ首元に落とされていた佐野の目線が植木の顔まで上がって、目が合う。
「……あー、説明、速かったか?」
 心なしか声をひそめて、申し訳なそうに言われて、だからそれにも首を振る。
「佐野の火傷見てたら、声聞くの忘れてた」
 教えてもらっている間なのに、ちゃんと集中していなくて、それは佐野に対して失礼だった。ごめんなと頭を下げると、一瞬目を開いた後に、おかしそうに笑われる。
「おれの顔なんかいつも見とるやろ。なんやおもろいか?」
 少しだけ目を細めて植木を見て、それからいくらか興味深げに首を傾ぐ。佐野が気を悪くしてはいないようだったので、よかったと植木は思った。それから、今聞かれたことについて考えてみる。佐野の顔を見て、おもしろかったかどうか。考えて、これにも首を横へ振る。
「似合ってるんだなって、思ってただけ」
 思い浮かんだ通りに植木が続けると、目蓋を閉じて佐野はうんうんと頷いた。自慢げだ。
「ああ。せやろ。男前度二割増しくらいやろ」
「それは、…………そうか?」
 痕があってもなくても、顔立ちは変わらない気がする。佐野が格好いいかどうかは、火傷とはまた別の問題だ。植木がじっと佐野の顔を見返すと、佐野は今度は困ったような表情になった。
「……植木。改めて見直すなや。冗談やから」
 言いながら思い出したように、佐野の手がもう一度植木の襟元に伸びてきた。結び目を緩める形で指を入れながら、しみじみと呟かれる。
「会心の出来やったのになぁ」
 そう言われてみれば、随分と真剣な表情で取り組まれていたような記憶がある。結ぶ手順以外に、どうせすぐに外してしまうのに、佐野は無意味に仕上がりにもこだわっていたらしい。一度結んだ順を逆に、ほどいていく佐野の手は遅い。もしかして、佐野はこうしているのが楽しかったのだろうかと思い当たって、植木は口を開いた。
「佐野。――なあ、もう一回」
 結んでみてくれるかと続ける前に、佐野の顔が上がった。驚いた表情だけど、やっぱり、嬉しそうに見えるような気がする。
「今度は、ちゃんとお前の声聞いてるから」
 重ねて続ければ、開かれていた目がわずかに伏せられて、声を殺して佐野が笑う。見ているうちにまた、ああと植木は思って、思ったまま言葉は勝手に口から出た。
「――そうだな。佐野、男前、かも」

TITLE:くるくるめぐる
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