つい先日まで暖冬だと言われていたのに、今日の気温は随分と低かった。コートを着込んでいても、外に出れば冷えた大気が服の奥へ滲み込んでいく。風の冷たさに負けまいとするように、私は顔を上げて少しだけ足を早める。
 クリスマス・イヴにはみんなで集まって、パーティを。あいちゃんが提案した呼びかけは今年も繰り返されて、あのバトルで一緒にチームを組んだ全員が、今日は久しぶりにまた揃う。
 大切な、とても特別な。仲間なんて言葉では到底言い表せられないくらい、何にも代え難い人たち。今日になるのが小さな子どもみたいに待ち遠しくて、昨日の夜はほとんど眠れなかった。今も、待ち合わせの時間まではまだ一時間近くあるのに、どこかに寄り道する気にはなれなくて、私は真直ぐに指定された場所へ向かおうとしている。ターミナル駅の改札を抜けて、大通りを進んだ先の、三叉路に分かれるロータリー。煌びやかなイルミネーションは通り沿いにどこまでも続いていて、其処彼処から聞こえてくるのはクリスマスを歌う明るいメロディーばかり。待ち焦がれたみたいに、街中がクリスマスに華やいでいる。広場の中央には今年もツリーを象ったイルミネーションライトが一際大きく輝いていて、誰もが足を止めていく。
 待ち合わせには定番の場所で、以前の記憶に比べればまだ見えるひとかずは少ないほうだった。これからだんだん人の出入りが激しくなって、夜になればきっと恋人同士で溢れてしまう。今は、一人でいる人は一様に駅のほうを眺めていたり、携帯をいじったりしながら、誰かが来るのを待ち侘びている。――そう、私だけではなくて。
 ツリーの下にいる人たちみんなに笑いかけたいような気持ちで、なんとはなしに目を走らせて、それで私の足も止まった。目を伏せた横顔。記憶と服装は違う。口論になってしまったときに私がよく引き合いに出していた、浴衣姿でもなくて。それでもトレードマークみたいに巻かれた手ぬぐいや、火傷の痕が残る顔立ちを見間違えようもない。
「…佐野くん?」
 寒さに冷えた声は思いのほか小さくなってしまって、でも彼には届いた。近づいていく私を少し驚いたような表情で見上げる。驚いているのは、私だって同じだけれど。
「鈴子? 随分はよ来たなぁ」
「佐野くんこそ、どうしてこんなに早く来ているんですの?」
 交通機関が遅れるかもしれない可能性に備えてだとか、よく喧嘩になった理由の、大雑把な性格をした彼のことだから、私と同じような理由とはあまり思えない。不思議に思って見つめていると、少しだけ視線が横へ流れた。何かをごまかすみたいに。
「おれは、あれや。待ち合わせ時間、間違えてもうて」
 ……そんなこと。大雑把とはいっても、佐野くんが大事なことを違えたりはしないことも、私は知っている。十団の頃はカウントできなくても、同じチームで戦っていた間はずっと一緒に過ごしてきたのだから。思いながら、けれども私だって、人のことは言えない。
「私も、乗り継ぎの時間を読み違えてしまって」
 まるきり嘘ではないのだし、ほんのちょっとの時間も待ちきれなかったなんて、本当に子どもみたいで恥ずかしい。それらしく続けると、少し遅れてかすかな苦笑が返る。人の気持ちに聡い彼のことだから、やっぱり、見透かされてしまったかもしれない。
「…まあ、お互い似たようなもんやな」
「…本当に、そうですわね」
 互いの嘘に気付かないふりをして、でもなんだか無性におかしくなってしまって、出来るだけ生真面目な声で答えながら彼の目を見る。あんなにぶつかってばかりだったのに、こんなところだけ似ているとしたら。思っていたことは等しく重なっていたようで、ほとんど揃ってしまったタイミングで彼も私も笑った。
「久しぶりやなー、鈴子」
 しみじみとした口ぶりで、白い息を吐き出しながら。私の息も勿論白く染まっている。本当に今日は寒くて、これから夜に向けてさらに冷え込んでいくのだとしたら、みんなと合流できたら早々に屋内へ避難したほうがよさそうだった。そこまで考えて、不意に気付く。
「そんなことより佐野くん――なんでそんな薄着なんですの!?」
 上着がパーカー一枚なんて、中に何枚か重ねていたとしても今日の気温に充分とは思えないし、彼の性格ではあまり着込んでいるとも思えない。考えは多分当たっていて、じっと視線を向けていると、今度ははっきりと彼の目が宙を泳ぐ。
「こない冷えるとは思っとらんかったんや。けど、薄着言うほど薄着でもないで」
「それは、浴衣に半纏よりはましかもしれませんけど」
「鈴子、半纏着たことあらへんやろ。ぬっくいんやで」
「今はそんな話をしてるんじゃありませんわ」
 コートは私も一枚羽織っているだけで、手袋もちょうどお気に入りのものを無くしてしまったばかりなのだ。そこまで考えて、ぽんと手を打ち付けたいような気持ちになった。
「じゃあこれ、一緒に巻きましょう? 今日は少し長めのものをしてきたんです。ちょうどよかったですわ」
 今年買ったばかりの黄色いマフラーの端を掴んで、まだしゃがんだままの彼へと向かって差し伸ばす。見上げられたまま何故だか数瞬の沈黙があって、私は少し首を傾げる。
「…佐野くん?」
 余計なことまで言い過ぎるくらいの、言い合いの記憶ばかりが強いから。あいちゃんやヒデヨシくんではなくて、私に向けられたこういう表情はとても珍しいような気がする。
「鈴子。気持ちは嬉しいんやけどな。それは、なんやまずいんとちゃうかな……」
 困ったような、でも苦笑の入り混じった、――子どもをたしなめるような、優しい顔。不快なものではないけれど、若干憤慨もしてしまう。彼と私は同じ学年で、でも今日で私は一つ年上になる。ひと月と少しのことでも、その間は私のほうが彼よりも年長だ。
「確かに、そうすると並んで歩かないといけませんけど。でも、ちゃんと天気予報を確認してこない佐野くんが悪いんですから」
 ね?と思いきり笑顔を作って、もう少し屈み込んで彼の手を掴む。どうにか立ち上がらせても、向き合う距離だとやっぱりまだいくらか遠い。左腕を掴んで距離を詰めて、肩の触れる位置でようやく満足して、私は彼の首へくるりと毛糸を巻きつけてしまう。思ったとおり、二人分だと、一巻きずつでちょうどいいくらいの長さだ。
「ほら、こうしたほうがあたたかいでしょう?」
 思いついただけだったけれど、これなら私も寒くないし、本当にいいアイディアが浮かんでよかったと嬉しくなる。顔を寄せた状態でもう一度笑顔を向ければ、彼には小さくため息を落とされた。それからやっぱり苦笑い。
「傍から見たら、誤解されそうな気がするんやけど、ええんか」
「誤解?」
「クリスマス前やしな。ただでさえカップルばっかりやろ」
 視線で促されて周囲を見やれば、先ほどよりも人の数は増えてきていた。女の子同士や男の子同士、友達で集まっている人たちも勿論いるけれど、男女の組合せのほうがもう圧倒的に多い。彼の言わんとしていることを理解して、私は少し考えを巡らせた。結論が出て、一つ頷く。
「大丈夫ですわ。佐野くんと私は身長もほとんど変わりませんし。誰が見ても、きっとそんなふうには見えませんもの」
「そういうもんなんか……? なんや、自信のうなってきたわ…。――ちゅーか、今のはちょお傷ついたで、鈴子」
 右手で軽く額を押さえて、俯きがちに横から目線を向けられる。責める口調でも声にはやわらかさがあって、彼の口元がほとんど笑っているのに私は気付く。
「だって佐野くん、十団の頃と今もそんなに変わらないでしょう? それにそのおかげで一緒にマフラー巻きやすいんですから、いいじゃないですか」
 笑顔で返しながら、前に逢ったときよりも、少しだけ目線が違ってしまっていることにも本当は気付いている。こうして並んでみれば尚更実感する。みんな同じように、男女の区別なく歩いていられる時期なんて、きっと私たちが思っているよりもずっと短いのだ。だから余計に、こうして過ごしていられる一日をとても貴重に感じる。
「……ええけどな。ともかく、植木たちが来るまで、ずっとここでこうしとるのもあれや」
「何ですの」
「まだしばらく時間つぶさなあかんやろ。時間まで、適当にどっか入らへんか」
 今にもため息が入り混じりそうな声で言われて、これにも思考を巡らせる。みんな携帯電話も持っているのだし、時間に余裕を持って戻るようにすれば、特に問題はないだろうか。そう判断して、答える。
「それもそうですわね」
 にこりと頷いて、もう歩き出そうとしている彼の左腕を伸ばした右手で捉えた。好き勝手に歩いて距離が開いてしまったら、多分互いに首がしまってそれこそ滑稽だ。二人で協力して戦ったときに、彼の短所も私が補うことができれば長所の一つに変えられると気付いたけれど、こういうとき彼の大雑把さはやっぱり短所だと思う。思いながら、それでも今私の中にあるのは怒りではなかった。一人でいるよりも、マイナス要素があっても、誰かと一緒にいることのほうがずっと嬉しくて楽しい、幸せなことだから。しっかりと彼の腕を掴まえて、私も歩き出す。


 私が自分で否定したように――そんなふうには見えないとして、それなら私たちは、傍目にはどんなふうに見えるのだろう。友人同士に見えるだろうか。みんなでいるときではなくて、私と佐野くんの二人でいるだけでも、そう見えるのだったら。
 もしも、と仮定の形で考えながら、こんなに寒いのに、それだけで胸の中がじんわりあたたかくなる。意見がぶつかるたびに喧嘩ばかりするのではなくて、いつかあなたとも、ちゃんと友達になれたらいいのにと願っている。


「佐野くん、転ばないでくださいね」
「…そのまま返すわ」

TITLE:Kyrie eleison
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