「流れる糸」>>




 OSの煩雑な調整に、過程を告げモニターを見やれば、それだけでキーを叩き始める。優れているように予め作られた存在、コーディネイターの中でも、この種のことに関する彼の能力はきっと遥かに抜きん出ているのだろう。相変わらず、一度入り込んでしまえば手を止める様子もない。モニターに打ち込むキラの姿を、アスランは眺めていた。
 無理をしているつもりはなかったが、身体を休めて、息を抜けば節々には痛みが掠める。まだ傷の完治していない状態で、やはり立っていることにもいくらかの疲労はある。そういったことにまで、気を配られているということ。キラに、理解されているということが、アスランの心にはあたたかな感慨を落とした。
 子供の頃は、生まれの順とは逆に、心をくだいて相手を気遣うのはアスランの役回りだった。頑なに月の差、年嵩を主張していたのはキラで、幼い口振りには呆れた表情を返しながらも、思えばそれすらもアスランの胸をあたためるものだった。かつての、キラにはかけ慣れた言葉。けれど今、キラから向けられるそれはひどく面映ゆい。
 あの頃から比べれば、まだわずかに差異はあるものの、随分と背も伸びた。なめらかに動く指も、当然に、もう子供の気配を残したそれではない。顔立ちも線を細く、大人びたのだと思う。けれども、造作の大きな瞳が微笑めば、やはりそこにはかつての彼が散らついた。アスランの視界には、はっきりと幼さの影が残されている。穏やかな、アスランにはやさしいばかりの情景。横で素直に感嘆しているらしいメイリンにも、自然目元が和らいだ。



「かわいい子だね」

 休憩にと、食堂に向かう道筋でキラが口にした。アスランは少し首を傾げて、それから頷いた。

「…ああ。」

 当のメイリンは、幾分先に整備の女性陣に連れられている。それまではあまり面識もなかったが、時折視界を掠めた記憶にも、本来は年相応の、明るい表情が似合う少女だと知っていた。言葉の意味よりも、もっと多くの感慨を込めて思う。ほとんど言葉を交わしたこともなかった自分を、自らの立場も顧みずに、助けてくれた少女。

「――きっと、君が好きなんだね」

 けれど、続けて口にされた言葉には、アスランは戸惑った。それを好意と表するなら、そうなのだろうと、思う。どれだけ感謝をしても足りない程だ。けれども、キラの口ぶりは、そうではない意味合いも含まれているように感じられた。
 女性から好意を向けられることは、少ないことではない。アスランも、端から思われている程に、そのことに気づいていないわけではなかった。ただ、親愛の意味合いでのそれとの区別が、よくわからないのだ。カガリほどにまっすぐに、言葉や態度に示されればさすがに迷いはしないものの、アスラン自身がその手の類のことにあまり積極的ではないこともあり、見過ごしてしまいがちではあった。
 そこまでを考えて、アスランはキラの横顔を見つめた。

「…キラは、」
「え?」
「ラクスを好きなんだろう?」

 思い浮かんだままの問いかけに、キラは驚いたように足を止めて、アスランを見返してくる。口にしたのは衝動でも、脳裏には幾度も思い浮かべた言葉だった。すぐにも同意が返ってくるものだと思っていた。二人の関係を考えれば、それこそ惚気られる程でも、おかしくはないのだろうと。
 けれども、キラの様子に戸惑うようなアスランの視線を受けて、キラは少しだけ微笑んだ。優しく、瞳を緩めて。

「…大切だよ。とても。守りたいと、思ってる」

 アスランがそうと思い描く通りの、二人に相応しい言葉を続ける。静かに告げる、和らいだ表情も、真摯な思いの伝わってくるようだった。なのに何故だか、アスランは喉が詰まったように感じた。それがキラの、ラクスへだけに向けられる特別な感情なのかと考えて、それには足元が揺らぐような感覚がした。

「……アスラン?」

 気がついたときには、キラの腕を掴んでいた。元よりそう離れているわけでもない。少し手を引けば、間単に距離は近づく。

 こんなに、近くにいるのに。

 明確には自覚のないまま、意識をしないまま、ふいにそう思った。手は、届く。キラは、ここにいるのに。けれども、キラの心の、一番深くにいるのは自分ではないのだ。
 とうに知っていたはずの事実が、改めて実感を伴い、アスランの胸を締め付ける。受け入れたつもりでも、きっとどこかで、変わらないものもあるのだと思っていた。キラの隣に誰がいても、自分がキラを必要とするように、キラも自分を必要としていてくれるはずだと。けれど、キラにとっては、いつかそれも変わっていくのだろうか。――キラには、ラクスがいるのだから。
 キラの中での位置づけを、自分は失うのかもしれない。アスランは唐突に突きつけられた闇に、目の前が覆われるような心地がした。




散文100のお題 / 15.意識という深い海
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